コロナ禍で結婚式を挙げました

コロナ禍での結婚式の準備〜当日までの日記

今となってはこれが新婚旅行

 

※前回の記事の内容と繋がっています。

 

 


毎年沖縄へは私の誕生日月である5月に行くのだが、予約は2月頃に始めることが多い。
2020年も2月に予約済みだったのだが、コロナでホテルが休業となり膠着状態にあったところ、5月末に緊急事態宣言解除、旅行会社からもホテルが営業を再開するとの連絡が入り、6月半ばに行けることになった。


余談だが、沖縄の梅雨は大体5月半ばから6月半ば。
毎年ちょうど梅雨に入るか入らないかの時期に旅行をしている。
沖縄の梅雨はこちらとは違いたまにスコールみたいなものが降ったりするくらいで、なんだかんだ毎日青空が見れている気がする。私の経験上だけど。

 

 


その後も引き続き不要不急の外出をせずに生活をし、沖縄に向けてコロナを回避し続けた。
そして2020年6月中旬。
がっつり有休を取り、しっかり感染対策をし、羽田を出発。
飛行機は家族であっても間を1席空けなければならなかった。
そして思っていたより旅行客がいたような覚えがある。


到着後、まずは沖縄の伝統衣装・琉装を体験をするため、国際通りへ。
そこには信じられない光景が広がっていた。
まるでシャッター街のようだったのだ!
人通りもまばらで、これがあの沖縄の国際通りとは到底思えなかった。
観光業界が死んでしまう。
振り込まれたばかりの給付金を注ぎ込もうと誓った瞬間であった💸


琉装体験は初めてかつ、ずっと楽しみにしていて、柄や色もあらかじめ調べて予約時に指定していたほどだった。
撮影付きコースにしたので、がじゅまるや石畳、様々なロケーションで撮ってもらった。
結婚後何もイベントがなかった私たちにとって、思いがけずこれが結婚記念の大切な写真となった。
(この時の写真は1年後、結婚式のプロフィールムービーで使われることになる。)


その後4日間各所を観光したのだが、ありがたいことにどの場所でも喜んで迎え入れてもらえた。
コロナまみれの東京から来たなんて嫌がられるだろうなと覚悟していたところはあったので、嬉しい誤算だった。


ジャングルバギー体験では、お客さんが少ないからという理由で通常の倍は遊ばせてもらい、通常定位置で1枚しか撮れないという写真も色んな場所でたくさん…それどころかiPhoneを先導スタッフに渡してバギーを運転する姿を前方からずーーっと動画で撮ってもらってしまった。


また、イルカに乗って泳ぐという夢のような体験もしたのだが、私たちが営業再開後初のお客さんだったようでイルカたちが喜んでいっぱい遊んでくれた。
イルカのお姉さんいわく、イルカは人間と戯れることが本当に好きなんだそう。
ずっとお客さんに会えなくて寂しがっていたらしい。
イルカ、めちゃめちゃ可愛かった…。
近くでみると少女漫画のようなつぶらな瞳をしていて、肌はしっとりすべすべだった。
1人18000円という値段に怖気づいたが、本当にその価値はあった!


コロナの関係で例年通りには楽しめないかなと思っていたが、沖縄の人達・イルカ達の暖かさにより例年よりだいぶ楽しんでしまった感があった。
あっという間の4日間だったが、相変わらずこの世にふたつとない素敵な場所だった。

 

 

 


その後のコロナの動向はご存知の通り。
これを書いている2021年7月現在まで、その後どこにも旅行には行けていないし、予定も出来ない。
この時の沖縄旅行が、私たちにとって新婚旅行となったのだった。

 

 

 

 

 

式どころか何もできやしねえ

 

2020年3月、結婚関係イベントは無期限延期となり、私たち夫婦はTVゲームに勤しむ日々を送っていた。
在宅勤務→TVゲーム→ウーバーイーツ夕食。
完全に引きこもりである。

 

 


ところで、私は沖縄が好きだ。
沖縄の何が好きかと言われると、全部だ。
観光、自然、料理、音楽、人…。
高校の修学旅行で初めて訪れてから、その全てに夢中になった。
(ちなみに都立高校の修学旅行の行き先は毎年違うことが多い。沖縄が当たり年と言われていた。私はラッキーだった!)
少しでも沖縄に近づきたくて、大学入学後のアルバイト先は沖縄居酒屋にした。
楽しすぎてみっちり4年間お世話になった。
そして大学3年生の時に再び沖縄の地に足を踏み入れる機会があり、それ以来なんだかんだほぼ毎年お邪魔している。
2015年からは夫(当時は彼氏)と、私の誕生日月に行くようになった。

 

 

 


…2020年ももちろん沖縄旅行をするつもりであった。
コロナ前までは。
4月には、緊急事態宣言なるものが発令された。
今では日々耳にする言葉だが、当時の私には「これはいよいよやばいんだ、本当にちゃんと意識して生活しよう、軽い気持ちで外出はもうしない、スーパーと薬局だけにする、結婚してからもほぼ毎週実家に帰ってご飯食べてぬくぬくしてたけどそれもしばらくやめよう」と心に決めるほどの効力があった。


百貨店やデパートが思いのほか休業するところが多く、出かけたくても出かける場所もなかったように思う。
こんなに化粧品や服を買わなくなるのは初めてだった。
飲食店も軒並み休業。
もはや娑婆に用はなくなっていた。
今思い出すと、街から人がいなくなった景色は不謹慎だがとても面白かった。ディストピア感があって。


ただ、私の大好きなバイオハザード3の待望のリメイクが4月に発売されたので、引きこもるにはちょうどよかった。
子供の頃に夢中になったゲームがリメイクされて目の前に現れることの感動を味わえるのは大人の醍醐味。
バイオ3リメイクのエンディング曲を自分の式のエンドロールに使用するのは、この頃はまだまだ先の話。

 

 

 

ゴールデンウィークも💩製造機として過ごし、5月の終わり、緊急事態宣言が解除となった。
自分の我慢がどれだけ影響したかはわからないが、これでようやくコロナも夏にはいなくなってくれるような気がして、とてもいい気分だった。


ただ、やはり結婚式となると、たくさんのゲストを招待するわけで、その中にはもちろん高齢者や基礎疾患を持っている方もいる。
コロナは簡単に死んでしまう感染症だ、志村けんが教えてくれた。
万が一のことがあってはならない。
まだまだ式のことは考えられそうになかった。

 

 


しかし、毎年していた沖縄旅行。
脳裏に浮かぶ青い海青い空。
自然に笑顔が溢れてしまうほどの美味しい料理。
聞こえて来る観光業界の悲鳴。


私たちは感染対策をしっかりして沖縄に迷惑をかけないことを条件に、大好きな沖縄へお金を落としに行こうと決めたのだった。

 

 

 

入籍直後にコロナ、式どころじゃない

2020年2月に入籍。

当初、式は年内に挙げよう、場所は東京が都合がいいけれど地方もいいな、などとなんとなく夫と話していた。
有力候補となったのが、香川県の直島か沖縄本島
ともに2人の思い出の地だった。

適当にそろそろ動き出しとくかーと式場を調べ始めた頃には、すでにコロナ関連のニュースは日本を駆け巡っていた。
3月半ばにもなると、マスク着用は常識、飲み会や観光などは控えなければならない空気が世間で流れていたことを覚えている。

決定的だったのは、3月の終わりの志村けんの死。
ニュースを見た瞬間を今でも覚えている。

まだ在宅勤務に完全に切り替わっておらず会社に出社していて、仕事中何気なくちら見したiPhoneのニュースに訃報が表示されていた。
思わず、「志村けんが死んじゃった!」と叫んだ。
課のほぼ全員が手を止めたと思う。
うそだ、信じない、誤報では?、と飛び交う言葉。
涙目になっている人もいた。

帰宅する頃には、どのテレビ番組・どのSNSでも志村けんの話で持ちきりだった。
それと同時に、コロナは本当に死んでしまう感染症なんだ、思っている何倍も怖いものなんだと日本人に認知されるようになっていった。
あの日から、私も世の中もより本気で感染拡大防止のための行動をとるようになった気がする。


ということで、無論、私たち夫婦の結婚式や新婚旅行は無期限延期が決定となったのだった。

コロナ禍で結婚式を挙げました


2020年始め、突如現れたウイルスによって私たちの生活は大きく変わりました。

1年以上経つ現在もウイルスの感染拡大は止まることを知らず、私が住む東京では7/12から4度目の緊急事態宣言…。

オリンピックも無観客での開催となるようです。



これを書いている今からちょうど1週間前の7/4。
コロナ禍ではありますが、結婚式を挙げました。

きっと数年後には貴重な体験したねー!なんて笑い話になっていることを願いつつ、日記・備忘録としてここに記していきたいと思います。